はじめに
Netflixで『オットーという男』って映画を観ました。主演がトム・ハンクスなので、まあ外れはないだろうと思って気軽に観たんですけど、これが意外と考えさせられる内容でして。 最初はただの偏屈なおじさんの話かなと思ったんですが、見終わった後には「今の日本ってこれでいいのか?」って感じる部分がありました。特に都市の住宅街って、隣に誰が住んでるかも知らないのが当たり前で、お隣さんと挨拶すらしないのが普通ですよね。それって健全なんでしょうか? オットーは最初、近所の人間にイライラしてたけど、結局その関わりが彼を救っていくんです。私たちも、もしかしたら同じようにどこかで「人との繋がり」を求めてるんじゃないかと思いました。でもプライドとか面倒くさい気持ちから、あえて自分で壁を作ってしまっているのかもしれません。これも日本社会の脆さなんでしょうね。 ※映画のネタバレはありません。
隣人は遠くに住んでいる
現代の孤独な都市生活
都市部に住んでいると、隣の家がすぐそこにあるのに、なんだか心の距離は遠いなと感じません?アパートやマンションで隣に誰が住んでるかも知らないし、ドア越しにすれ違っても顔を合わせずに通り過ぎるだけ。エレベーターや駐車場でバッタリ会っても、ただ気まずい沈黙を共有するだけ…結局、都市の中でひとりぼっちを感じてる人がどれだけいるかなんて、誰も知らないんですよ。 一方で、スマホやSNSには夢中で、なんだか“忙しいふり”をしている人も多いですよね。画面越しには繋がってるつもりでも、実生活での繋がりはどんどん薄れている。結構怖い話ですよ。
映画を見て考えさせられること
『オットーという男』を観たとき、どこかで「これ、日本にも当てはまるな…」と思ったんですよね。オットーは確かに偏屈で、一見面倒くさい人に見えるけど、その奥には、誰もが感じたことのある寂しさややりきれなさがある気がして。結局、誰でもどこかで「誰かと繋がりたい」って思ってるんじゃないでしょうか。もちろん、今の日本社会が根深く抱えてる問題かもしれません。 他人と距離を置くことで自分を守ろうとする人もいれば、逆に無理に明るく振る舞って孤独を隠そうとする人もいる。でも、心のどこかで「本当は繋がりたい」と願ってる人が多いんじゃないですかね。 ほんのちょっとした隣人との関わりが、案外人生を変えてしまう可能性もあるわけで。今の日本では、その大切さを見失っている人が多い気がします、私も含めて。
隣人という空虚な言葉
日本の住宅街って、住んでいるのは「隣人」じゃなく「ただの他人」ばかりなんですよ。互いの生活に干渉せず、無関心でいるのが暗黙のルールみたいになってる。でも、どうしてここまで隣人関係が薄れたんでしょうかね。都市化の進行で、隣人がただの“壁の向こうの人”になってしまいましたし、プライバシーの意識も強くなりました。『家族以外にはあまり関わりたくない』って考える人が増えた結果、もはや隣人との関わりなんて不要だ、という風潮すらある気がしますよね。
顔見知り以上、友達未満
今の日本人も、密かに実生活での関わりを求めているんじゃないかと思います。インターネット上での繋がりがどんどん増えてるけど、そういう繋がりが本当に人生の価値をもたらしてくれるかは疑問です。本当はもっと素朴な人との繋がりが、心の充実をもたらしてくれるんじゃないかと思いますし、きっとみんなそう思っているはず。 とはいえ、私も明日から急に変わる予定もなければ、隣人とすぐに交流を始める根拠もない。でも、こう思う人が少しでも増えたら、少しだけ未来が明るく思えるんですよね。
今の日本は、闇バイトや強盗といった危険も増えているのが現状です。こういった脅威も、隣人とのちょっとした繋がりがあれば、防げる場面があるかもしれません。小さなコミュニティがあれば、危険な道に入りそうな若者に声をかけられる人が増えるはずです。防犯や警告だけじゃなくて、闇バイト自体の発生を抑える効果も期待できるかもしれませんね。
ただの理想論かもしれませんが、隣人が「遠くに住んでいる」というこの現実に疑問を持つ人が少しでも増えるといいなと思いました。良い映画なので、ぜひ観てみてください。

隣人と関わるかどうかはさておき、せめて通報されないくらいには親しみやすい顔をしておきましょう。